由緒
神々と人々の
集い場として
神々と人々の
集い場として
鎌倉時代に創建された田脇日吉神社。
神社だけではなかなか立ち行かない為
兼業で数十年が経ちましたが
時が満ち、134年ぶりの社殿建て替えを機に
再び専従の導きを頂きました。
福岡県柳川市田脇の田脇日吉神社は建久年間に近江国滋賀郡より勧請され鎌倉時代に創建、 830余年の歴史、その前半を物語る宝物や旧記、系図類は天正年中(室町時代)に発生した火災により大半が焼失したと伝わっています。歴代の当主が記した実に2000点余りの史料群は各方面から注目を集め、その歴史を紐解くべく専門家による調査が今日も続けられ、まだまだ解明の途中ですが、祈祷方法など可能な限り復活させ、変わらず人々の祈りを繋ぐ役割を担いたいと願っています。
十種神宝の偉大なる力と、それを司る田脇日吉神社の神業は広く世に知られ、1865年、ついに柳川藩より重大な命を受けることになります。それは、重い病を患った純姫(十二代柳川藩主・立花鑑寛の妻)を救うこと。歴代当主 宮崎千別による祈祷術で起死回生の力を授かった純姫は、死の淵からみごと生還、奇跡的に病を全快します。純姫平癒の感謝として、長きに渡り柳川藩から初穂料が納められたお包みが多く残っています。
2018年、134年ぶりとなる社殿建替を機に田脇日吉神社は新たな歴史を歩み出しました。元来の「祈りの場」に加え、人々の「交流の場」として、新しくも懐かしい心の拠り所に。歴代当主が守り続けた古式ゆかしい神事を大切に伝承しながら、七祭神とともに祭祀を絶やすことなく新しい試みを続けてまいります。